コラム「アメリカ史の窓」

第14回 植民地時代のアメリカの教育

 植民地時代のアメリカ人はどれくらいの割合で読み書きができたのだろうか。現代のように統計や社会調査がない時代である。どうやって調べるのか。契約書に記された署名を調べると、識字率をある程度、推測できる。自分の名前が書けない者が契約する場合、署名の代わりに適当な印を付けて済ませる。ヴァージニア植民地では、白人男性の半分程度、白人女性の4分の3程度が自分の名前が書けなかったと推測されている。
 女性の識字率が低いのは一般的に男性よりも教育を受ける機会が限られていたからだ。女性は学問に向いていないという偏見があったり、そもそも女性に教育はあまり必要ないという風潮があったからである。
 奴隷が教育を受ける機会はさらに制限されていた。奴隷に読み書きを教えることを違法とする植民地さえあった。奴隷も含めれば識字率はもっと下がっただろう。
 それでもアメリカはヨーロッパ諸国と比べて識字率が高かった。時代を経るにつれて識字率は上昇し、独立戦争が起きる頃には地方でも70パーセント、都市では95パーセントに達したという。
 アメリカ人はどのようにして読み書きを学んでいたのか。教会が運営する学校や職人の子弟を教育する学校に通ったりして学んでいた。基礎教育を終えてさらに高等教育を受けたければラテン語学校に通う。ラテン語は高等教育において必須教養だからである。そうしたラテン語学校は北部であれば、ある程度の規模の街であればどこにでもあった。その一方で街が少ない南部では、家庭教師を雇うのが一般的であった。もちろんどこの家庭でも家庭教師を雇えたわけではなく、大農園主のような富裕な家庭に限られた。
 最高学府は大学であるが、大学数が少ないうえに学生数も限られていた。例えば1769年から1775年にかけてアメリカで学位が授与された人数はすべてで830人にすぎない。一番多いハーバード大学でも308人である。したがって、大学卒業者は社会の中で見るとせいぜい500人に1人程度しかいなかったと考えられる。