コラム「アメリカ史の窓」

第25回 ヘッセン傭兵の実態

ドイツの諸侯国から集められたヘッセン傭兵とはどのような存在だったのか。主な出身国であるヘッセン=カッセルという諸侯国について見てみよう。アメリカ独立戦争においてイギリスに1万9,000人の傭兵を提供する代わりにヘッセン=カッセルは総額2,100万ターレル(400億円相当)を受け取っている。それは「世紀の取引」と呼ばれた。そうしたお金はイギリスやオランダの公債の購入やその他の国への貸し出しに使われ、さらなる利潤を産んだ。
 ヘッセン=カッセルという小国がなぜ1万9,000人もの兵士を送り出すことができたのか。ヘッセン=カッセルは現在のドイツの中央部に位置し、後にグリム兄弟が最も長い間住んでいたことでよく知られている。
 小国にもかかわらず、18世紀のヘッセン=カッセルは軍事大国であった。ヘッセン=カッセル方伯(神聖ローマ皇帝直属で公爵と同格の領主)であるフリードリッヒ=ヴィルヘルム2世は、啓蒙絶対君主であり、富国強兵を推し進めた人物である。ヘッセン=カッセルの陸軍は、急速に拡大され、実に2万人の正規兵と2万人の民兵を擁するまでに至った。実際に軍役に就いている兵士が全市民に占める割合は実に15分の1に達した。
 その数字がどれほど極端かと言えば、他の国と比べるとわかる。イギリスにおける実際に軍役に就いている兵士が全市民に占める割合は300分の1である。ヘッセン=カッセルと同じく陸軍国で富国強兵を推進したプロイセンでも30分の1にすぎない。
 ヘッセン=カッセルに生まれたすべての男子は7歳で兵籍に登録される。16歳になると徴兵担当の士官から検査を受けて、それ以後、30歳まで毎年、兵役に従事可能な者として登録を義務づけられる。ただ熟練工や一定以上の農地を持つ農夫、その他、経済活動に大きく寄与している者は、兵役から除外された。
 ヘッセン=カッセルでは兵卒の給料は召使や未熟練労働者よりも高かった。一般的な兵卒の月給で1頭の牛と2頭の豚が買えたという。それに兵卒を出している家庭は一部の税が免除されるばかりか、その他の特典も与えられた。このような利点があったので多くの兵卒、主に貧しい小作人の息子達は喜んで従軍した。その一方で強制的に徴兵された者もいたことは指摘しておかなければならない。主人がいない召使、学校から中退した青年、破産した商人、浮浪人などは容赦なく軍隊に放り込まれた。