コラム「アメリカ史の窓」

第1回 インディアンは残虐なのだろうか(上)

 『アメリカ人の物語』の中でインディアンの頭皮剥ぎについて何度か言及することがあった。そうした行為は、当時の白人や現代の我々の目からすれば残虐かもしれないが、インディアンの文化では残虐とは必ずしも言えなかった。
 文化人類学によれば、頭部に霊魂や生命力が宿るという信仰は、多くの文化で見られる信仰である。そうした霊魂や生命力は転移させられると信じられている。したがって、共同体にとって頭皮剥ぎは、豊穣の祈願や死後の幸福の祈願などのために外部の力を取り込む儀礼であった。
 インディアンが残虐な人々であったと断言することは非常に簡単である。しかし、そう断言する前に考えなければならないことがある。
 現代ではインディアン自身が部族の歴史を我々に伝えてくれるが、昔はそうではなかった。インディアンに関する記述を残しているのは、ごく僅かな例外を除けば、白人の観察者である 。
 インディアンが残虐な人々であったと断言できれば、次のような論法が成り立ってしまう恐れがある。残虐な人々であったから白人に土地を奪われても仕方ない存在だ。アメリカ人がアメリカ史の中でインディアンの残虐行為について語る時に、そういう暗黙の自己正当化を秘かに紛れ込ませているのではないかと私はいつも疑っている。
 当時のインディアンはいったいどのような人々であったのか。残念ながら白人の記録に頼るしかないが、できる限り公平な視点を持っていると考えられる観察者を選ぼう。
 18世紀にアメリカ大陸を横断して太平洋に到達する計画を練ったジョナサン・カーヴァーというイギリス軍士官がいる。結局、カーヴァーはミシシッピ川の上流まで来たところで諦めたが、西部の奥地について初めて本格的な記録を残した。
 以下で紹介するのは、インディアンの性質について説明した部分である。インディアンに関する数ある記述の中でも最も洞察力に富む観察の中の一つである。本当はかなり長いものだが、重要な部分だけかいつまんで紹介する。

「インディアンの性質は、残虐で執念深く容赦がない。彼らは、自然の欲求を気にかけることなく一日中起きていて、未踏の森の中に道を切り開き、僅かな食料で生き延び、敵を追跡して復讐する。彼らの手中に落ちた不幸な敵が切り裂くような悲鳴をあげても彼らは動じず、捕虜に責め苦を与えることで極悪非道な楽しみを得る」

 確かにカーヴァーもインディアンの残虐性について指摘している。しかし、同時にその優れた点についても描写していることを忘れてはならない。次のような観察は実際にその目で見た者でなければ書けないものだろう。

「彼らは、類い稀な耐久心を持って飢餓の攻撃や無慈悲な天候を辛抱し、欲求の充足を二の次にする。また、我々は、彼らが友人と認めた者、時には受け入れた旧敵に対しても社交的であり人道的であるのを見ることができる。そして、穀物の最後の1粒を分け合い、そうした者を守るために生命を危険に晒すことさえある」

 さらにカーヴァーが注目したのが、インディアン特有の公共の精神である。

「彼らの公共の精神に関して言えば、彼らは自分が属する共同体の結び付きに他国の住人が知らないような愛着を感じている。まるで一つの魂によって動かされているように、彼らは部族の敵に対抗して、それに反するようなあらゆる考えを心の中から消してしまう。彼らを立腹させた相手を滅ぼす方策が必要な場合、彼らは不必要な対抗心を持つこともなく、嫉視や野心の興奮に身を委ねることもない。自己中心的な見解が彼らの助言に影響を及ぼすこともなく、彼らの協議を妨害することもない。彼らが自分の部族に感じている愛を賄賂や脅迫で損なうこともできない。部族の名誉や幸福は、彼らの感情の中で最も重要なものである」

 公共の精神がどのような影響をインディアンに及ぼしているのか。カーヴァーは、インディアンの残虐性の原因を公共の精神と未開の精神に求めている。

「そして、そこから彼らのすべての美徳や悪徳が生じる。こうした動機に基づいて、彼らは、個人としてではなく部族の一員として、あらゆる危険において勇敢に振る舞い、最も激しい苦痛に耐え、そして、彼らの不屈の精神を勝利で飾る。またそこから戦争状態にある相手に対して飽くことのない復讐や彼らの名前を汚すようなすべての恐ろしい行為が生じることもある。彼らの未開の精神は、理性や人間性の統制を完全に受けない。激情を抑えるべきか否か適切に判断できないので、彼らは怒りに制限を設ける術を知らず、その結果、彼らの勇気と決然とした態度は、もし限度があれば名誉となるはずだが、残念なことに野蛮人の残忍さに退歩している」

 カーヴァーの論述はどうだろう。文明人と野蛮人という厳然とした区分があるようだが、それでもインディアンを好意的に解釈しているのではないか。悪い点も良い点も両方書く。そのような記述が一番信用できるのではなかろうか。

→ 第2回 インディアンは残虐なのだろうか(下)