コラム「アメリカ史の窓」

第2回 インディアンは残虐なのだろうか(下)

 前回登場したジョナサン・カーヴァーの他にもインディアンについて記録している者はいないだろうか。18世紀前半のウィリアム・バードの記録を見てみよう。頭皮剥ぎに関するバードの記録はカーヴァーよりも具体的である。バードはカーヴァーと違ってインディアンを否定的に見ている。

「彼らは髪の毛のすぐ下から頭の周りに剃って皮を切り取り、それから犠牲者の肩に足を掛けて頭皮を綺麗に剥がし取り、誇らしげにそれを家に持って帰って、かつてユダヤ人がペリシテ人の包皮を使ったように勝利の証とする」

 さらにバードの記録は続く。

「敵の頭皮を剥ぐというこうした残虐な方法は、アメリカのすべての野蛮人によって行われていて、おそらくそうした起源はアジアの北部の住民にあると考えられる。古代スキタイ人の中でそれは絶えず行われ、髪の毛が付着した頭皮は勝利の証として持ち運ばれた。彼らはそれを家の中では布巾として戸外では馬飾りとして利用した。頭皮を利用するだけでは飽き足らず、頭蓋骨を祭日に使うコップや黄金や純粋な水晶のように飾りとして使った」

 さらにバードは以下のように記録を続けている。

「(インディアンの気質の下劣さを完全に示してると思われるが)彼らは、勇敢さで際立った捕虜を最も非人道的なやり方で扱う。もし捕虜が戦争を指導する族長の場合、彼らはその者を生きたまま火炙りにして肉片を勝利を分け合うためにすべての者に配る。彼らはまるで地獄のように普通の火炙りから不幸な捕虜にさらなる責め苦を与える新しい方法を巧妙にも考えついた。時に彼らは捕虜を白熱した石炭の上で火炙りにする。そうすれば捕虜の苦しみが長くなる。また焚きつけ用の木を捕虜の身体中に刺して骨になるまで焼くこともある。もし捕虜が太っている場合、彼らは赤熱した焼き串で肉を骨から剥ぎ取る。こうした残虐な行為が行われている間、勝利者達は同情の欠片を示すこともなく、惨めな犠牲者の周りで歌ったり踊ったりして喜んでいる。もしこうした残虐な行為が集落で行われる場合、彼らは子供達を連れてきて、人間的な感情を早くから捨ててしまえるように捕虜に責め苦を負わせるところを見せる。その間、こうした哀れな捕虜はすべての非人道的な扱いによる苦痛を受けながら、呻き声も出さず、溜息を付くこともなく、苦痛の表情を浮かべることもない。それどころか表情をいつでも平然と保つことが名誉であり、まるで何か楽しいことを本当にしているかのように喜んで見える。たとえ生前に歌うことができなくても、もしそうできればこの痛ましい機会でもきっと旋律を奏でただろう。この受難におけるインディアンの勇気は驚異的でさえある。なぜならあらゆる種類の危険に対して彼らはまるで臆病者のように振る舞いがちだからだ。さらに驚くべきことは、女性もそうした機会に苦痛と死に対して男性と同じく勇気を示すことだ」

 このようなバードの記録を読むと、インディアンが敵に責め苦を負わせるのはその勇気を試すための文化的儀礼であったと考えられないだろうか。例えば切腹は単に苦痛を与えるためだけの処刑方法だろうか。インディアンの行動の背景には武士の規範のようなものがあったのではないか。

 

第1回 インディアンは残虐なのだろうか(上)

第3回 当時の女性はどのように化粧をしていたのか