コラム「アメリカ史の窓」

第6回 植民地時代のアメリカの結婚観

 未婚率の上昇が話題になる日本だが、植民地時代のアメリカでももちろん未婚者はいた。18世紀半ばのフィラデルフィアでは、成人白人男性の2割がずっと独身であった。その一方で成人白人女性の未婚率は3分の1である。ただ女性の場合は「未婚」となっていても一度も結婚経験がないというわけではなく、その多くを未亡人が占めていた。
 上流階級の男女はなかなか条件に合う相手が見つからないこともあった。同じ階級で同じ宗派を信仰している必要があった。それだけではなく持参金の多寡も問題であった。そうしたルールを無視して結婚すると村八分になる可能性があるので、結婚相手を慎重に選ばなければならなかった。
 もちろん一度も結婚していない女性もいる。そうした女性はなぜ結婚を望まなかったのか。植民地時代のアメリカでは相対的に女性の数が少ないので、結婚自体はあまり難しくなかった。それでも結婚を望まなかったのは、出産に伴って死亡する女性がかなりの割合にのぼったからだ。平均すると30人に1人の妊婦が出産が原因で亡くなっていた。これほど高い死亡率であれば、親戚の誰かがお産で亡くなったと耳にすることがよくあっただろう。お産が怖くて結婚したくないと考えるのは不思議なことではない。
 ただ結婚して当然という社会の圧力はあった。未婚者を非難する風潮があった。例えば「ペティコート・クラブ」と呼ばれる女性達は、なかなか結婚しない男性を「神と自然の法を蔑ろ」にするだけではなく、「克服し難い愚かさと頑迷さ」に囚われていると非難している。さらに「不名誉の証」を身に着けるべきだとも彼女達は提言している。
 もちろん未婚の女性に対しても非難の矛先が向かっている。そうした女性は様々な蔑称で呼ばれた。それに独身を貫く女性は、ヒステリーになりやすく、「萎黄病」、すなわち顔色が悪くなり、心悸が亢進し、手足が腫れ上がるという病気になると信じられていた。