コラム「アメリカ史の窓」

第22回 革命意識の現れ

晩年、ジョン・アダムズは「アメリカ革命で我々は何を意味するのか。我々は独立戦争で何を意味するのか。革命は戦争が始まる前からあった。革命は人々の心の中にあった」と述べている。
 多くの人々は、たとえアダムズが言うように革命が心の中にあっても、自分ではそれと気付かなかっただろう。もちろん多くの人々よりも早くから明確な認識を持っていた者はいたが、それはごく一部であったと考えられる。つまり、独立戦争当時のアメリカ人の大半は、神聖な革命を遂行しているとは思っていなかった。
 その証拠に大陸会議とその後継機関である連合会議が存続した期間、すなわち1774年9月から1789年3月までの議事録を収録した『大陸会議議事録』に「革命戦争」という言葉は、索引の言葉として登場するだけで本文には1回も登場しない。「アメリカ革命」という言葉も僅かに6回しか登場しない。
 最初に登場した例は、グヴァヌア・モリスの報告書である『アメリカ革命の記録』を出版するための費用を支払うことを決定したという1779年4月5日の記録である。もちろん「革命戦争」や「アメリカ革命」といった言葉がほとんど使われなかったからといって、そのような意識がまったくなかったと断言することはできない。
 ではいつどのように多くのアメリカ人の間で革命意識がはっきりと現れ始めたのか。ジョージ・ワシントンが「革命戦争」や「アメリカ革命」といった言葉を独立戦争中に使った例はほとんどないに等しい。そういった言葉が登場するのは、ようやくフランス革命前夜になってからだ。その頃にワシントンがジェファソンに送った手紙の中には、「人類の権利、人民の特権、そして、自由の諸原理はアメリカ革命以来、かつてないほど、ヨーロッパ中で広く論じられ理解されているようです」という文章がある。つまり、アメリカ人が建国期を「アメリカ革命」とはっきりと見なすようになったのは独立戦争が終結して少し後からと言ってよいだろう。