【書評紹介】

*『図書新聞』2025年4月12日号 第3683号掲載*

 

ビザンツ帝国の転換期を同時代の目を通じて読む
ーー世界史上の重要なポイントを流麗な言語、丹念な情報収集、客観的な姿勢で記した佳作

村田光司

 「ニキフォロスは法によって私の夫になったが、この上ない美貌、高度の知性、完璧な雄弁において彼と同時期の人々を遥かに凌駕していた。事実彼を見る者、聞き入る者にとってまったく驚異の存在であった」。これは、本訳書の原著者ニキフォロス=ヴリエニオスを評してその妻アンナ=コムニニ(コムネナ)が記した一節である。
 ニキフォロス=ヴリエニオス(1080頃~1137/38)は、11世紀末から12世紀前半にかけて、当時東地中海世界に君臨したビザンツ帝国(東ローマ帝国)に仕えた人物である。皇帝アレクシオス一世コムニノスの娘アンナとの結婚によって宮廷入りしたニキフォロスは、行政・司法・軍事と幅広い領域で皇帝を補佐し、尊敬の念を込めて、彼に与えられた高位の称号である「ケサル」の名で呼ばれた。文芸にも秀でていたニキフォロスは、その腕を買われて皇帝アレクシオス一世の事績を記す歴史の執筆を依頼された。そのプロローグとして執筆されたのが本書『歴史』である。
 もともとギリシア語で書かれた本書は、アレクシオス一世の祖先の事績から話をはじめ、彼が皇帝となる直前の時代までを描いている。西暦で言うと、おおよそ1070年頃から1080年頃が本書の語る時代である。著者ニキフォロスは当初引き受けた依頼通り、アレクシオス一世の治世まで書き進めようと望んでいたが、病のため志半ばで亡くなった(そのため、本書は唐突な終わり方をしている)。ニキフォロス自身は本書の序文で、自身の作品を『歴史の材料』、つまり後世の歴史家たちへの資料に過ぎないと言って謙遜しているが、この説明の裏には、作品が未完に終わることに対する恐れや、忸怩たる思いもあったかもしれない。
 たかだか10年程度の歴史記述にどれほどの価値があるのか、わざわざ翻訳する意義があるのかと訝しむ方もおられるだろう。しかしこの10年は、ビザンツ帝国のみならず、広くヨーロッパ・中東世界にとって重要な転換の時期であった。とりわけ東方から来たセルジューク朝(トルコ人)によるアナトリア半島への進出は、今日みられるヨーロッパとアジアの境目を決定する遠因ともなった。なかでも1071年にビザンツとセルジュークのあいだで起こった「マンツィケルトの戦い」は、戦闘の規模こそ大きくなかったものの、時のビザンツ皇帝ロマノス四世が捕虜とされるなど、象徴的な事件として様々な歴史叙述によって描かれるようになる。ニキフォロスの『歴史』は、早期にこの戦いを詳述した作品としても価値がある。訳者の相野氏は、この戦いを記録するほかのビザンツ人の歴史叙述四作品からの抜粋を付録として本書に含めており、読み比べるのも一興である。
 ニキフォロスの『歴史』は、著者本人が理想とする完成形には至らなかった。しかしそれでも本書は、世界史上の重要なポイントを流麗な言語、丹念な情報収集、客観的な姿勢で記した佳作である。むろん現代の日本語読者にとっては、一千年も前の異国の書物であり、容易に読み進められるとは言い難い。しかし解説を寄せられた井上浩一氏も述べているように、じっくりと読むことで「遠い過去、異なる世界を訪ねる歴史の旅の楽しさが味わえる」ようになっている。これはまさに、訳者である相野氏の力量によるところが大きい。相野氏御自身も、残念ながら本書の校正段階で逝去されたため、刊行された本書を見ることは叶わなかった。評者はひょんなことから依頼を受け、原稿の最後の確認を行う機会を得たのだが、相野氏による翻訳の正確さや巧みな言葉遣いには舌を巻くばかりだった。ニキフォロスの妻アンナは、「ケサル(ニキフォロス)の残した文書記述はなんとすばらしい調和と美しさを備えていることか」とその文章術を絶賛しているが、わたしたちは相野氏の翻訳に対しても、同じ賛辞を送ることが出来るだろう。原典のニュアンスを忠実に伝えることを目指した翻訳に加えて、本書には詳細な注釈と解説が付されており、それらは当時の政治的、文化的背景への理解を深める助けとなっている。
 ニキフォロスが成し遂げられなかった皇帝アレクシオス一世の事績執筆は、妻にして皇帝の娘たるアンナ=コムニニによってなされることとなる。近代以前において女性が歴史作品を執筆すること自体、極めて異例であるが、夫婦がそれぞれ連続した時代を記述する作品を書くことは、もっと稀である。いくつかの証言によれば、ニキフォロスの作品は妻アンナの作品と共にまとめて書き写され、後の世代に読み継がれていたようである。実は訳者の相野氏は、すでに同じ出版社からアンナの著作『アレクシアス』(2019年)を訳出している。この度のニキフォロス『歴史』翻訳刊行によって、わたしたちも夫婦それぞれの作品をひと続きに味わうことができるようになったのは、誠に喜ばしい。日本語圏における一つの貴重な財産として、共に長く読み継がれることを願う。
(むらた・こうじ=筑波大学助教・ビザンツ史)

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