【書評紹介】
*「図書新聞」2024年3月30日付 掲載*
現代の私たちがいかにして歴史的なものに迫れるか、その「実修」
歌謡への強いこだわりを『閑吟集』全首にわたる注釈への展開させた、西洋史家堀越孝一の遺著
斉藤昭子
『閑吟集』は日本の中世(1518年成立)の歌謡集である。集中もっとも人口に膾炙したものは「なにせうぞ 燻んで 一期は夢よ ただ狂へ」であろうか。中世に民間で流行し、人々が口ずさんだ短い歌を小歌といった。小歌226首を中心に、猿楽の謡、田楽節、放下歌、早歌、狂言小歌など、都合311首を収める。本書は西洋史家、堀越孝一によるその注釈である。ただし遺著となった本書は、著者の薫陶を受けた研究者など、関係者の手によって編集、諸々の作業を経て世に送り出されたものである。井上亘・田村航による前書き・後書きに当たる文章が本書の心強いガイドになっている。著者には既に『わが梁塵秘抄』(図書新聞、2004年)があるが、本書は歌謡への強いこだわりを『閑吟集』全首にわたる注釈へと展開させたものである。
注釈と言っても、一般に想起されるであろう注釈とはかなり異質なものである。特に我々日本文学研究者が付し、日頃の読解の便りとしているようなものとは。著者は西洋史を専門とする歴史家である。ホイジンガ『中世の秋』の訳者であると言えば、「歴史」や「西洋」といった分野を専らにする読書子でなくとも著者のことを既に知っていたことに気づくはずだ。中世西洋史学の碩学、その人は「歴史空間は言葉の集合」と言い、「記述=歴史空間は読みを提示する空間」と言った(本書、井上亘「『閑吟集訳注』によせて」)。現代の私たちがいかにして歴史的なものに迫れるか。その「実修」として本書は提出されている。前書に引き続き歌の言葉への徹底したこだわりがあり、その具体としての用例調査である。それはあまりに自在で、能については言わずもがな、例えば『古今集』、「新古今集』を含む八代集から、『万葉集』、さらには記紀歌謡にも遡り、『枕草子』や『源氏物語』他、物語類にも分け入って注視する語を広げながら次々とイメージを立ち上げていく。読者はその多彩さを、時には戸惑いを覚えながらも味わっていくうち、室町の人々が口ずさんだ当該歌を読み解くための「想像力の武器」(堀越「過去への想像力」『中世ヨーロッパの精神』悠書館)を手にしているという次第である。
日本の古典世界のみならず、漢籍、ヴィヨンの詩やトルバドゥールの歌などヨーロッパの中世文芸をも行き来する著者の自在な手つき、また宮内庁書陵部本のみを対象にした独自のルールに基づいた本文の扱い等について、本書に収められた全ての歌群を扱うことは評者の手に余る。本書には日本中世文学研究者の小峯和明による詳しい解説が収められているのでそちらを参照されたい。ここでは評者の専門家ら62番歌とその周辺の歌群を取り上げ、著者の『閑吟集』の歌の言葉への向き合い方の一端を紹介することとしたい。
62番は「桐壺の更衣の手車の宣旨、葵の上の車争い」という歌である。本書での表記には加えて下段に「桐壺の更衣のて車の宣旨葵/の上の車あらそひ」と宮内庁書陵部本の字句と配列の忠実な翻刻を載せる。当歌は宴曲を集めた『拾果集』下、「車」の一節である。これは『源氏物語』中からとられていることが明らかな唯一のものなのだが、現代の読者はただ物語中の車関連の事象を二つ並べただけではないかとの印象を抱きかねない。そこで筆者はまず『源氏物語』冒頭の内容を説く。桐壺更衣に対する手車(一般には輦(てぐるま)と表記する)の宣旨はどのような事態のうちに出されたか。つまり帝の専一な寵愛に命を削った女への、死を間際にした破格の待遇であったことを。続きを本書から引用しよう。
「て車」は、61番歌の「忍び車」を、またそれが前提として踏まえている
『松風』の「わづかなるうき世に廻るはかなさ」をいっている。(196ページ)
さらりとした叙述である。61番歌とは、「影恥づかしき吾が姿 影恥づかしき吾が姿 忍び車を引き潮の…(以下略)」という能『松風』の一節からなるもので、これが能で謡われるときには舞台上に潮汲み車の作り物が置かれている。「忍び車」の語には松風・村雨という名の二人の海女乙女(シテ・ツレ)の許へ、男(在原行平)が人目を避けて通ってきた車のイメージを重ねる。二人の舞台への登場時の謡、声を合わせる「潮汲み車わづかなる、うき世に廻るはかなさよ」――「短い、つらい世で生きることは何とむなしい」の意味が、死に瀕した桐壷更衣を乗せた「て車」に響くと指摘しているのである。
『閑吟集』は四季から恋と、勅撰和歌集の部立にも連なる配列を持つ。さらに、語句のレベルで連歌の付合のような方法、つまり前句の中の言葉や題材を受け、連想によって歌が並べられており、各首の「付き方」をも読み解くことが求められる。著者による歌の並び・語の連なりへの縦横な洞察によって、源氏物語には語られない輦の中の桐壷更衣のイメージが浮かび上がるではないか。
「葵の上の車争い」については、葵の上方と争い、敗れる形となった六条御息所の歌(影をのみみたらし川のつれなきに身のうきほどぞいとど知らるる[葵巻])を引き、「身のうきほどぞ」という言葉が「権兵衛」(著者は『閑吟集』の編者も各首の歌の作者もまとめてこのように呼ぶ)に「感銘を与えたにちがいない」とだけ述べる。62番歌や前後の歌群との関わりについては何も説かれていない。ただ、車争いで深く傷つき、打ちひしがれる御息所の歌の中の句を、あたかもマーカーで徴付け読者に目配せするようなものである。確かに「身の憂さ」はこのあたりの歌群の通奏低温のごとく響いてくる。そして「車争い」の勝者と見えた葵の上の乗っていた牛車の方こそ、彼女を(死へと)導く「運命の車輪だった」と述べるところは、61番歌からの恋慕の名残を纏わせた潮汲み車のイメージの連関と、当歌の前半、輦の中の桐壷更衣を待ちうける死の運命から導かれるもので、『閑吟集』を読み解くスリリングなよろこびを教えてくれる。
ここで評者が取り上げたのは62番歌を中心としたわずかな歌群に過ぎない。著者の筆は63番歌「思ひまわせば小車の、思ひまわせば小車の、わづかなりけるうき世かな」(ここにも著者が目配せした「うき」の語がある)と能「葵上」のシテ六条御息所の謡の引用から、67番歌、68番歌の主題にこの能が関わることを指摘する……とのびやかに走って行く。『閑吟集』じたい、洗練された短い歌から心ゆくまで楽しみ歌う長いものまで、様々な様式を含み持つ。著者の自在な注釈の行き方は、このテクストを読むのにまことにふさわしいと言えよう。読者はこの筆法に乗りながら、室町の人々の歌を読み解くための大きな「想像力」を得ることになる。
(さいとう・あきこ=日本古典文学研究・東京学芸大学)
※発行元のご了解を得て転載しています
悠書館