【各章紹介】
第Ⅰ部は、スペイン帝国域内の文書循環サイクルの成立過程を中心に焦点を当てる。

第1章は、植民地財政を管理統制するため、16世紀半ば以降、スペイン王室がスペイン領アメリカに導入した財務監査制度の役割と、文書を媒介とした中枢(スペイン王室)/周縁(植民地役人)関係の成り立ちをたどり、インディアス領の植民地社会に浸透させようとした文書的統治システムの、緻密さと綻びという相矛盾した性質をあわせもつ複雑な実態を明らかにする。
第2章は、フィリピン総督府とスペイン王室を行き交う行政通信文書の軌跡をたどることにより、帝国中枢と植民地末端を結ぶ文書流通プロセスの全体像を明らかにする。対フィリピン政策をめぐり、植民地総督府とスペイン本国とのあいだに樹立された「対話的」な合意形成の仕組みとその機能の実態を詳らかにする。
第3章は、近代初期ヨーロッパで最大規模ともいわれる文書コレクションを生みだした、スペインの異端審問の巨大アーカイブズ・システムが構築・維持されていく歴史的過程について、情報検索の要となるインデックス・システムの変遷に焦点をあてながら分析する。異端審問という暴力的支配装置の機能を支えた原動力として、これまで顧みられることのなかった情報検索システムの役割に着目しようとする意欲的な試みである。
第4章は、イエズス会の南米パラグアイ管区における「年報」の流通・保管プロセスに焦点を当てた分析である。「年報」とは、世界各地のイエズス会の活動拠点からローマ総長宛に送られた現地報告書だが、「心の一致」を図るための有力な手段として文書の役割を重視したイエズス会が、世界規模で築き上げた文書ネットワーク・システムの重層的な構造がスペイン領アメリカの先住民布教区を起点に説得力を持って描き出されている。

 

第Ⅱ部は、スペイン帝国支配下で生産・管理された文書群の実態について、物質レベルから分析した論考を中心に構成している。
第5章は、モホス地方のイエズス会ミッションで作成された洗礼簿の物理的形態の変化を丹念に追い、空間上に描きだされた「記号の領域に属する生」と地理空間上に配置された「物理的領域に属する生」が弁証法的に呼応しあう、集住化の二重プロセスの実相を明らかにする。植民地の都市工学をめぐる歴史的な議論のなかで、ともすれば「宗主国中心主義」的な解釈に陥りがちであった従来の植民地史観に対し、実証的な立場から是正を迫る。
第6章は、18・19世紀に、ラパスの公証人が作成した売買契約証書のテキストと、公証人マニュアル掲載の書式見本とを比較分析し、マニュアル本を介して、スペイン本国と植民地周辺社会の公証人とのあいだにどのような歴史的関係が築かれていたのかを論じる。植民地周辺都市において内生的に生みだされる文書実践の力こそが、スペイン帝国の文書ネットワークを支える原動力であった可能性が明らかにされる。
第7章は、テンプル/聖ヨハネ騎士団の編纂物であるカルチュレールを検証し、類型論的なアプローチから機能分化論的なアプローチへの転換を提起するものである。スペイン帝国成立以前の中世アラゴンで作成された文書を対象にしている点で異彩を放つが、カルチュレールに刻まれた痕跡から文書編纂原理の中核に迫ろうとする視点は、比較文書史の視点からも興味深い。

 

第Ⅲ部は、帝国の周辺社会で生み出される文書ダイナミズムの実相について焦点を当てる。
第8章は、新大陸征服直後の混乱期から官僚制統治へと政体が移り変わる、16世紀ヌエバ・エスパーニャの法的環境を背景として、メキシコ市の有力エンコメンデーロであったインファンテ家とインディアス諮問会議(植民地政策を策定する中枢機関)とのあいだで100年あまりにわたって展開された文書による応答のプロセスを分析し、文書ネットワークの裏側で繰り広げられた、権力中枢と植民地主体との微細な駆け引きの実態が明らかにされる。
第9章は、植民地期中期にメキシコ中部のナワトル系先住民が作成した「権原証書」と呼ばれる土地文書群の、歴史的生成プロセスに焦点をあてる。現代のナワトル系先住民集落でのフィールド調査と、文書記録を対象とした歴史学的分析法を有機的に組み合わせて、スペイン的な文書概念と先住民の在来的な思考様式の狭間で新たな文書ジャンルが生成されていくプロセスとその要因について多様な視点から論じる。
第10章は、17 世紀ペルー副王領のワマンガで作成された公正証書の分析をもとに、スペイン征服以降、植民地社会に導入された公証人制度を、先住民がどのように利用したのかを明らかにする。先住民社会内部の多層的な成り立ちが詳らかにされ、どのような波及効果をもたらしたのかを具体的に理解する上で格好の研究事例といえるだろう。
第11章は、17世紀メキシコで作成された商業帳簿の分析を手がかりに、帝国行政と植民地商人の関係性を明らかにする。そこでは、国王命令やマニュアルを介して帳簿作成のプロセスを直接管理下におこうとする帝国行政と、日常的な商取引の現実にあわせて商業簿記の記載ルールを柔軟に活用しようとする民間商人の実践知が対比的に描きだされる。

第Ⅳ部第12章は、共同研究に参加した研究者自身の文書実践を分析対象に設定し、どのような集合知が形成されてきたのかを、人文情報学的な手法を用いて可視化し、自らの学問的行為とスペイン帝国の文書ネットワークを支えた歴史的諸主体の取り組みとを、同軸上に重ね合わせて捉えようと試みる。