【書評紹介】

*『週刊読書人』2024年8月30日付 第3554号掲載*

 

旅や移動にもたらされる新たな視点
ーーアメリカン・ガールの心意気を見る旅行記

大串尚代

 ルイザ・メイ・オルコットの不朽の名作『若草物語』では、アメリカ東部の小さな町に住むマーチ家の四姉妹の暮らしが描かれるが、旅や移動のモチーフも含まれてもいる。特に第二作『続若草物語』では、エイミーが欧州に旅立ち、自身の絵の才能の限界を知る一方で、そこで再会したローリーに対する素直な気持ちに気づく。ヨーロッパ行きを逃したジョーは、その後作家修行のためにニューヨークへ出て行き、何を書くべきかを気づかせてくれた、未来の夫となるベア教授と出会う。移動は物語を動かす重要な要素なのである。
 オルコット自身は二度のヨーロッパ旅行を経験している。一度は『若草物語』を執筆する前の一八六五年、二度目は同作品がヒットした後の一八七〇年である。どちらも約一年におよぶ滞在だったという。そのオルコットのヨーロッパ滞在記が、谷口由美子氏による翻訳によって、本邦に紹介されることになった。それが本書『「若草物語」のルイザのヨーロッパ旅物語』である。オルコットは『若草物語』執筆後に、短編集『ジョーおばさんのお話しかご』全六巻を出版している。本書では、第一巻に収録された「わが少年たち」の一部が「ローリー」として訳出され、さらに第二巻に収録されているヨーロッパ滞在記「ショール・ストラップス」が全訳されている。
 「ローリー」には、オルコットが最初の欧州旅行で出会ったポーランド人の青年ラディスラス・ヴィシニェフスキーとの思い出が記される。この青年は『若草物語』に登場する、マーチ家の隣人ローリーのモデルとなった人物であることを知る人も多いだろう。今回訳出された部分では、オルコットとこの年下の青年との愛情と友情のはざまのような関係性とともに、ポーランド独立をめぐる社会背景が描き込まれており、自らの意思とは関係なく移動せざるをえない人の存在がうかがわれる。
 続く「ショール・ストラップス」は、『若草物語』執筆後に売れっ子になったオルコットが、妹のメイの友人アリスに乞われ、メイとともに女性三人で欧州へと旅立ったことを、旅行記の形で綴ったものだ。ショール・ストラップスとは、谷口氏の解説によれば、身の回りの品をまとめるバンドのことだという。トランクとは異なり、必要最低限の物だけをまとめるためのショール・ストラップスは、身軽さや自由さを象徴する。そのタイトル通り、三人は旅程も滞在の時間もその都度相談しながら決めていき、現在でいうところのフリープランの旅を心ゆくまで楽しむのである。
 もちろんいいことばかりではない。言い寄ってくる男性たちがいたり、女性だからといって軽くあしらわれたりするような場面も描かれる。だが三人はこうしたトラブルにも立ち向かい、馬車の賃料をふっかけられても頑としてゆずらない。アメリカン・ガールの心意気を見るような旅行記は次のような言葉で綴じられる。「まだ若く、臆病なところもある女性のみなさんには、自分の国に留まることなく、行動しやすくするために荷物は少なくまとめ、思い切って外へ出てごらんなさい、ということだ。保護者は必要ない。必要なのは勇気だ。…待つことはない。男性にかしずくことなく、蓄えたものを使うことだ」。
 そもそも旅や移動は誰もができるものではなく、性差、人種、階級などによって制限されてきた歴史を持つ。女性の旅行記の存在は、二〇世紀後半から研究が進んできており、旅や移動に新たな視点をもたらしてきた。本書の意義は、オルコット研究のみならず、旅行記研究にも貢献することにもある。本書出版の企画は、コロナ禍にあって移動が制限されていた時に、旅の本を手がけてみたいと思った谷口氏のアイディアから始まったという。旅の持つ意味を再確認する本書は、オルコットの愛読者のみならず、広く旅を愛する人に読んでもらいたい一冊である。(おおぐし・ひさよ=慶應義塾大学教授・アメリカ文学)

※発行元・執筆者のご了解を得て転載しています