【書評紹介】

「枢軸国側の偉大な宣伝兵器」、『シグナル』誌の雰囲気を伝える
『シグナル』のレンズは各戦地で生きて死んでいく無名兵士に向く
藤原辰史

 

 『シグナル』は、1940年4月に創刊されて以来、1945年3月に最終号が刊行されるまで、ナチス・ドイツの戦時宣伝を担ったタブロイド判のグラフ雑誌である。隔週発刊、40ページ、表紙はモノクロだが、記事にはカラー写真も使用された。本書は、この雑誌のなかから特徴的なページを抜粋しつつ、ハーウッドによる戦況の説明と記事の解説を掲載するという構成になっている。
 国防軍の戦時宣伝部が中心となって編んだ『シグナル』はドイツ本国では出版されていない。そもそもゲッペルス率いる民衆啓蒙・宣伝省とは管轄が異なる。占領地や中立国にドイツの良いイメージを与えるための対外宣伝雑誌であって、国内向けの宣伝雑誌ではなかった。イタリア、ノルウェー、トルコ、チャネル諸島、アイルランド、アメリカなど世界30ヵ国25言語で販売された。外国語への翻訳には総勢120名が関わったといわれている。1943年までに、『シグナル』の発行部数は250万部に達した。これはアメリカの対外宣伝雑誌『ヴィクトリー』の二倍以上の発行部数であり、アメリカのグラフ雑誌『ライフ』も「枢軸国側の偉大な宣伝兵器」と認めざるを得ないものだった。
 本書では、『シグナル』をめぐる基本情報がかなり端折られており、著者の解説も、軍事行動とヒトラーの動静に力点が置かれているため、詳細を知るためには、ドイツで刊行されたライナー・ヌッツの研究書『シグナル』(2007)を参照する必要がある。また、訳出されている『シグナル』の記事それぞれの刊行日が掲載されていない、という点にも、不満が残る。
 とはいえ、現段階では、『シグナル』をこれほど美しく大きな写真で、出版当時の雰囲気そのままに、そのうえ日本語で読める本は本書をおいてほかにない。なによりも、迫力がある。スターリングラード敗北後、『シグナル』の記事は命を捨てたドイツ兵の美化に躍起になる。写真も、ドイツの劣勢を示すようなものは掲載されない。「我々は何のために戦っているのか」「我々の人生に”生きる価値”を与えるものは何か」という理想論・抽象論へと逃避し、写真から躍動感が消えていくこともよく分かる。以下、ハーウッドの厳選した『シグナル』の写真を見て思ったことを、二点ほど挙げたい。
 一つは、写真の実験が試みられている、ということ。国防軍は、アグフア・ゲヴァルト社製のカラーフィルムをはじめとして最新式の写真機器を投入し、宣伝部隊のカメラマンにそれをもたせて、各地で写真をとらせた。ヒトラーやムッソリーニ、陸軍司令部の写真も少々あるが、もっぱら『シグナル』のレンズは各戦地で生きて死んでいく無名の兵士に向けられる。爆撃機のクランクをまわす3人の技師たちのからまる手、目にはゴーグルをつけ、口と鼻を布で覆い、首にスカーフを巻いて黄色いアフリカの砂嵐を耐える衛兵たち、東部戦線でオートバイに乗ったまま、足を広げ、顔を伏せてヘルメットを見せて眠る姿、戦車から降りて投降するフランス兵の不安な表情、北アフリカの64キロのドライブで、砂で真っ白になった兵士の顔、ソ連のぬかるむ道でオートバイを押す兵士のピンと伸びきった足など、目のまえに立ちはだかる不慣れな異国の自然条件に悲鳴をあげる身体が、とても印象的に表現されている。また、急降下爆撃機に同乗したカメラマンの「パイロットの目で見た戦場」というコーナーでは、攻撃目標の船に向かって高速かつ垂直に近づくときの視覚変容を、あたかもカメラの実験のように楽しむ。さらに、船の上で急降下爆撃機の接近を写したブレのある写真も、それがほとんど翅を広げた昆虫に見えるほど躍動感に富んでいる。前線に動員されたカメラマンは、当然、1920年代の前衛芸術運動に多かれ少なかれ影響を受けてきたのであり、その前衛的表現が戦場で開花することについては、日本のグラフ雑誌、たとえば『フロント』と比較してみてもいいかもしれない。
 第二に、戦争が、日々の暮らしの積み重ねであるという事実を感じさせること。国防軍の雑誌だが、銃後の記事も少なくない。銃後で映画音楽を作曲する音楽家たち、ドイツ兵士が愛した流行歌『リリー・マルレーン』を熱唱するララ・アンデルセン、ドイツ兵と談笑するデンマーク人女性たち、パリ陥落後、シャンゼリゼ通りのカフェでパリ市民たちと並んで座るドイツ兵、ベルリンで働くノルウェーの女性、ベルリンで配給の受け取りをしたり、自宅で食事の準備をしたりするキャバレーダンサーなどの記事が、戦場に燃え盛る炎や煙のはざまに掲載される。また、戦場の日常も興味深い。「ベロニカ」を合唱するドイツ兵たちの大きく開かれた口、マイナス53度の雪の上で輪になって暖をとる兵士たちの微笑、26キロの進軍のあとパンを切る腕まくりの兵士。どれもが基本的な人間の営みであるからこそ、こうした安らぎとやさしさと微笑みのうえに重ねられていった占領地の人間の根源的な破壊が、かえっておぞましく感じられるのである。(農業史)