コラム「アメリカ史の窓」

第23回 イギリス軍の実態

イギリス軍というのは実に矛盾に満ちた存在であった。各連隊は表向き国王に忠誠を誓っているが、実際は完全に議会の統制下に置かれている。アメリカ人がイギリス軍を時に「国王軍」と呼ぶことがあったかと思えば、「議会軍」と呼ぶこともあったのは、あながち間違いではない。

 この当時、イギリス軍は、騒乱法という12ヵ月に1度更新しなければならない法の下で運営されている。イギリス人は、自国の軍隊に誇りを持っていたが、常備軍の影響力が政治に及ぶのを何よりも恐れていた。したがって、騒乱という一時的に軍隊の使用を認める法令の下で、実質的に「常備軍」としか言えない軍隊を恒常的に運営するという歪な形が継続されていた。  またイギリス軍の士官も矛盾に満ちた存在だ。確かにイギリス軍の士官は高度な軍事的知識を持った職業軍人であった。ところが、現代では信じ難い話であるが、その辞令は売買の対象である。辞令は非常に高価で、例えば少佐の辞令であれば、2,600ポンド(3,100万円相当)の値段がつく。兵種によっても値段が異なり、歩兵隊の士官の辞令は安く、騎兵隊の士官は高い。つまり、極言すれば、お金さえ出せば士官になれる。したがって、職業軍人でありながら十分な軍事的知識を持たない者が士官になってしまうこともあった。
 こうした制度がなぜ罷り通っていたのかと言えば、それは社会階級を保持するためだ。つまり、実質的に辞令を購入できる富裕な上流階級の子弟しか士官になれない。すなわち支配層が軍隊を掌握する方便である。例えば1769年において、102人の連隊付きの大佐の中で実に半数以上が名家の出身者であった。

 さらにイギリス軍は、高度に官僚化された機構でありながら、同時に中央集権化されていないという矛盾を抱えた不思議な存在だった。

 まずイギリス軍は、世界最初の地球規模の官僚制度を持った組織であり、軍営部、船員部、兵站部、軍病院部、兵器部、軍需品部など専門の部署を持っている。こうした官僚制度がなければ、イギリス軍は世界各地に転戦して成功を収めることはできなかった。他のどの国の軍隊よりもイギリス軍の士官は書類仕事に追い回された。

 官僚化というプロセスは、情報の集積と一元的な管理の利点から、高度な中央集権化を伴うのが常であるが、イギリス軍は故意に中央集権化されていなかった。軍部が結託してクーデターを起こさないようにするためである。