コラム「アメリカ史の窓」

第27回 予防接種はどのように実施されていたのか

 18世紀において天然痘は軍隊にとって大きな脅威であった。したがって、兵士たちを天然痘を守るために集団予防接種が実施されている。予防接種は住民ぐるみであり、軍事作戦がほとんど休止する冬に実施された。
 ある一家を例にとってみよう。家族は9人である。10人の士官が2人の従者を連れてやって来た。一緒に予防接種を受けるためである。家は家族と士官で半分に分けられた。台所だけは共用である。既に天然痘に罹患したことがある1人の従者を除いて全員が同時に予防接種を受けた。担当する軍医は2人である。
 処置の一環として食事の制限が行われた。食事は野菜中心で肉や塩、その他のスパイスは厳しく制限された。軍医は甘汞に硝石を加えた薬や下剤を処方した。また安静を保つために激しい運動も禁止された。
 医者による治療はかなり乱暴なものであったらしい。一緒に予防接種を受けた家族の2人の子供たちが2週間後に悪寒を感じて赤い発疹ができた。子供たちが熱を出してベッドで寝ているところへ医師から言いつけが届いた。言いつけには次のように書かれていた。
「腕白者たちにすぐに起きろと伝えるように。おまえたちが一日中、ベッドの上で寝転んでいるのを見るよりも雪の上で半ズボンで跳ね回っているのを見るほうがましだ」
 子供たちが最も困ったのは、ランセットで傷付けられた箇所が膿んだことであった。完全に治るまでに2、3ヶ月かかったという。
 士官たちが宿営していた家は牧師の家であった。しかし、士官たちは、それをまったく気に掛けることなく罰当たりな言葉を吐き、昼夜を問わずにカード賭博に興じていたという。仲間の1人が熱病で死んだことも気にせずにカード賭博を続けた。それに2ヶ月間もこの家に滞在していたのにもかかわらず、牧師が開放している書庫に誰も本を借りに来なかったという。
 士官たちの存在は一家にとって迷惑であったが、予防接種を受けたことは大いに役立った。士官たちが去った後、周辺で天然痘が流行したが、ワシントンの命令で一緒に予防接種を受けた人々の中から犠牲者はほとんど出なかった。