【書評紹介】

 

「静止の刻」へ
「放浪学生(ヴァガンテース)としてわれわれのもとに帰還する「イマジナリー」
 白石嘉治

 

 時のながれには、ふたつのかたちがある。ひとつは知覚からなめらかに行動にいたるようなかたちである。「スマート」な「ライン」をなしているといってもいい。知覚や行動の意味はあらかじめ決定されている。帽子はかぶらなければいけないし、メールには返信しなければならない。歴史の実証とは、知覚と行動の齟齬のない連鎖をつくりだすことである。それは意味の支配にねざしたくびきでもあるだろう。
 他方で、たとえばミシュレの革命史を読むとき、断頭台の場面でたち止まらざるをえない。なぜミシュレは、切り落とされた首をうけとめる箱についてくわしく語るのだろうか? 描写によって、時のながれは中断されてしまう。知覚はなめらかに行動へと連鎖しない。ミシュレの愛読者だったロラン・バルトは、晩年の写真論でそうした中断の効果を「プンクトゥム(刺すもの)」とよぶ。そして意味が支配する時のながれから抜け出ようとした。賭けられているのは、意味の中断とともに別様にながれはじめる時のありかである。
 本書がディジョンのホテルの壁にかけられていた「絵」の複製の描出からはじまり、ヴィヨンの「ファンタジア」に思いをめぐらすことでおわるのも偶然ではないだろう。しかも、ルーヴル美術館で贖われた同じ「複製」は「いまも眼前の壁にかかっている」のであり、ヴィヨンへの思いは玉川上水の橋のうえにのぼる月の光景とともにある。現在をさけるかのように過去がよびだされ、それらは影形あいともなって錯綜する。時はなめらかに連鎖するのではない。「言葉は常にいまのもので、過去へ送りこまれて、絵をつくる。(…)いまの景色をかく言葉がむかしの情景を映すということならば、いったいいまの景色とはなにか」。こう問いかける著者もまた、くりかえし「私のイマジナリー」にたちもどり、「絵」のいとなみとともに立ちあらわれる「静止の刻」としての中世を語ろうとする。
 著者はホイジンガ『中世の秋』(中公クラシックス)の訳者でもあるが、ホイジンガじしん、中世からルネサンスへという歴史の必然を断ち切ったことを想いおこそう。ホイジンガはみずからの記述をヤン・ファン・アイクの「絵」に収斂させることで、中世に固有の情動をとりだしてみせた。知覚と行動のあいだに情動がさしはさまれ、その情動が「絵」として時の連鎖を中断するならば、時は別様にながれはじめるだろう。本書はそうした『中世の秋』の方途を厳密な仕方でうけついでいる。著者の師である堀米庸三との交流や翻訳にまつわる興味深いエピソードが語られるだけではない。『中世の秋』の核心をつかんだ著者は「歴史は印象のつづれ織り」と断言する。われわれは、ホイジンガがプルーストの同時代人だったことに気づかされるだろう。だが、著者が引くのは、リルケの「ほとんどすべての事物から、感知せよと合図がある」ということばである。
 問われているのは、中世を懐古することでもなければ、ましてや中世をかいして近代を超えることでもない。古代がカミの支配であり、近代がヒトの支配であるならば、中世とはそうした統治が宙づりになった状態である。支配はつねに歴史の必然として語られるだろう。だから中世そのものは、そうした歴史の連鎖を中断する「絵」であるほかない。じっさいホイジンガによれば、中世においては「すべて聖なるものをイメージにあらわすこと」が追求されたという。これをたんにキリスト教的な支配の浸透とみなしてはならない。不可視であるはずの「聖なるもの」が日常の「イメージ」に着床する。それは世俗化ではなく、むしろ瀆神のふるまいである。エックハルトが出会った修道女たちは、みずからが神となることをのぞんだ。本書で語られる「放浪学生(ヴァガンテース)」たちも、「聖なるもの」に変容した「事物」の「感知せよという合図」にうながされつつ、修道女たちと同じような瀆神を生きようとしたのだろう。「絵」の「イマジナリー」を生きることが問われているのであり、そのかぎりにおいて中世という歴史の裂開はどこにでもみいだせるはずである。
 われわれはなぜ本書をひもとかなければならないのか?

 それはホイジンガのみならず、リルケやプルーストに立ちかえってみる必要があるのと同じだろう。本書はかつて小沢書店からでていた二冊のエッセー集(『いま、中世の秋』一九八二年、『わがヴィヨン』一九九五年)をあわせたものである。それが「放浪学生」の名のもとに帰還したことの意味をかんがえてみるべきである。著者はヴィヨンの訳業と註解でもしられているが、それも本書と同じ版元によって容易に入手できるようになった(『ヴィヨン遺言詩集  形見分けの歌遺言の歌』(悠書館、二〇一六年)。著者は「フランソワ・ヴィヨン」が実在したとは信じていない。それは名高い「遺言詩」の「主人公」の名にすぎず、じっさいの作者はサンブノワの司祭ギヨーム・ヴィヨンであると推定できるという。

 もちろん、ことの当否を問うことはできない。たしかなのは、そうした仮構への信なしには、われわれは中世をみいだしえないことである。歴史の実証のなかで「フランソワ」は知覚と行動の連鎖のなかに埋没している。だが、彼の詩のいとなみは情動そのものである。その「イマジナリー」は歴史のくびきを断ち切り、「フランソワ」という「放浪学生」として、われわれのもとに帰還するだろう。別様の時がながれはじめる。われわれは著者とともに「見者」となるが、未来をしらない。「絵」であるような形見の「歌」のひびきのなかに、過去と現在の折りかさなりを聴きとるだけである。「さてさて、去年の雪がいまどこにある」。くりかえすが、中世は時代の名称ではない。歴史がしいる必然からの出口のありかをしめしている。本書をひもとくことは、その「静止の刻」へとひらかれていくことである。(フランス文学)

*掲載許可済