コラム「アメリカ史の窓」

第19回 アメリカ人と入浴

 十八世紀のアメリカ人にはほとんど入浴の習慣はなかった。入浴はどちらかと言えば忌避される行為であった。なぜなら医師は、垢で覆われた皮膚が疫病から身体を守ると主張していたからだ。水や湯で身体が惰弱になれば、疫病に抵抗できなくなると信じられていた。聖職者も入浴が不適切な自愛であり、神の意思に反すると唱えていた。
 それに現代とは違って便利な水道がない時代、入浴は多大な労力を必要とする。浴槽にお湯を満たすのは簡単なことではない。労力の問題は奴隷を使えば解決できる。しかし、そもそも浴槽を備え付けている家自体が非常に稀であった。
 例えばフィラデルフィアの富裕な商人の妻のエリザベス・ドリンカーは、入浴について日記に書き残している。その日記は一七五九年から一八〇七年にわたってつけられ、植民地時代から建国期にかけてのアメリカ人の生活を知るうえで貴重な史料となっている。
 夫のヘンリー・ドリンカーは裏庭に浴場を作った。錫製の浴槽に手動式のポンプで水を供給するシャワーを備えた本格的な施設だ。驚くことにエリザベスは完成してから一年近くも浴場を放置していたようだ。そして、初めて浴場を使った時のことを日記に記している。

「思ったより入浴にはうんざりした。実に二八年も入浴してこなかったのだから」

 確かに二八年前の日記を見ると、トレントンを訪問した時に入浴したと記録されている。それほど入浴は珍しいことだったのだ。
 では当時の人びとはどうやって清潔を保っていたのか。頻繁に下着を交換することで清潔を保った。ただそれは富裕層だけに許された贅沢である。衣服がそれほど安くなかった時代なので、せいぜいできることは一張羅を脱いで布で身体を拭く程度しかなかったようだ。現代の基準からすれば、相当に匂ったかもしれない。ただ都市であれ田園であれ、人が住む所であればどこでも悪臭がつきものだったので、それほど匂いを感じなかっただろう。