コラム「アメリカ史の窓」

第3回 当時の女性はどのように化粧をしていたのか

 この肖像画に描かれている女性は、ワシントンが好意を寄せたサリー・フェアファックスである。フェアファックス家はヴァージニアで最も有力な家柄の一つである。サリーの装いを見れば、当時の上流階級の女性の特徴が確認できる。
 胸元を広く開ける服装は当時の最新流行である。最新流行を追うことは上流階級の証である。普通の人々は、現代のように流行に合わせて衣服を購入できない。なぜなら衣服は非常に高価であり、擦り切れるまで着用するのが当たり前だったからだ。
 上流階級の女性達は、胸元をいかに美しく見せるか競い合った。豊満な胸元こそ最高の美の象徴であったからだ。レースや襞で胸元を飾るのに飽き足らず、造花や本物の花を飾る女性もいたという。
 さらに18世紀の上流階級の女性達にとって重要であったのは、腰をいかに細くくびれているように見せるかである。腰が細く見えれば、相対的に胸がより豊満に見える。そのためにスカートを鯨の髭でできた張り骨で釣り鐘状に膨らます。現代の女性が履いているハイヒールも既にあった。
 それだけではなく女性達はコルセットを着用している。日常生活でコルセットを外すことはほとんどない。しばしばコルセットを着用したまま眠ることもあった。そのようにコルセットを常用するようになると、当然ながら弊害が出る。背筋が弱くなって身体を支えることが難しくなる。その結果、ますますコルセットに頼るという悪循環が起きる。
 スカートの裾をつまみ膝を曲げて身体を少し屈めるという女性特有のお辞儀がある。優雅で上品なように見えるが、それはコルセットで締め付けられているせいで普通のお辞儀ができないから生まれた作法だという。
 もう少しサリーの肖像画を観察すると、色の白さが際立っていることに目が行く。上流階級の女性はとにかくできるだけ肌を白く見せたがった。それは肌が白いほうが綺麗だという美容的な考えによるものではない。白い肌を持つことはすなわち上流階級に属していることを意味した。
 なぜか。理由は簡単である。肌の白さは、日焼けするような労働をしていないことを意味するからだ。上流階級の女性は、パラソルにボンネット、そして、手袋と厳重な日焼け対策をしていた。
 化粧も忘れていない。当時の化粧箱を覗いてみると、実に様々な品物が含まれている。もちろんそうした品々を所有することができるのは上流階級の女性に限られたが。
 手鏡、鼈甲や象牙の櫛、扇、陶製のパッチ箱(付け黒子を入れておく箱)、造花、胸元を飾るボタン、羽根、毛抜き、カール用アイロン、コールド・クリーム、玉石鹸、染料、付け毛、ヘアピン、アイ・シャドー、ローション、爪楊枝、ペパーミント水。
 ただ化粧品は現代のように安全が確認されているわけではない。その成分には毒性が高いものも含まれる。鉛、塩化水銀、硫化水銀、酢酸銅、砒素などが代表的な成分である。かなりの害を及ぼしたに違いない。例えば鉛は慢性的な中毒によって記憶障害や神経障害が出る。ローマが衰退した一因として、ワインに甘みを出すために硫化鉛を入れる習慣を上げる歴史家もいるくらいである。塩化水銀も体内に蓄積されると腎臓障害を起こす。
 19世紀半ばの医学研究によれば、化粧品の毒性によって易疲労感、嘔吐、頭痛、麻痺などさまざまな障害が出ることが確認されたという。それにもかかわらず20世紀初頭にFDA(食品医薬品局)が設立されるまでそうした問題はほとんど野放しであった。
 高価な化粧品を買うことができない女性もまったく美容に関心がなかったわけではない。手近な品物で美容に励む。
 例えばベーコンの切れ端を顔に貼り付けて就寝する。そうすれば頬が薔薇色になり、皺を防止できると信じられていた。さらに化粧水として子犬の尿が使用されている。白粉は小麦粉やトウモロコシの澱粉から作られる。唇を紅く彩るにはどうすればよいか。臙脂虫という虫を潰して使う。または潰した薔薇と豚の脂を混ぜ合わせた物を唇に塗っていたという。

 

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