コラム「アメリカ史の窓」

第5回 植民地時代のアメリカの人口増加

 『アメリカ人の物語』の中でヴァージニア植民地の驚異的な人口増加について述べた。1730年から1760年の30年間で約3倍という増加である。北アメリカ植民地全体でも四半世紀に倍増したと言われている。当時のイングランドの人口増加と比べると、その差は歴然である。イングランドでは18世紀に入って急激な増加に転じたが、同時期に530万人から600万人にしか増えていない。
 では北アメリカ植民地にはいったいどれくらいの数の人々が住んでいたのか。1760年代の北アメリカ植民地には160万人程度が住んでいたようだ。人口の多い順に並べると以下のようになる。

ヴァージニア34万人
マサチューセッツ20万3,000人
ペンシルヴェニア18万4,000人
メリーランド16万2,000人
コネティカット14万2,000人
ニュー・ヨーク11万7,000人
ノース・カロライナ11万人
ニュー・ジャージー9万4,000人
サウス・カロライナ9万4,000人
ロード・アイランド4万5,000人
ニュー・ハンプシャー3万9,000人
デラウェア3万3,000人

 こうした数字は後世の研究者による試算である。植民地時代のアメリカの人口を試算することは極めて難しい。正確な記録が残っているのは、ニュー・ヨーク植民地やロード・アイランド植民地くらいである。では正確な記録がない場合、どのように人口を推測するのか。課税台帳や民兵の兵籍簿、教会に残っている出産、結婚、死亡などの記録から間接的に推測している。
 それにしてもなぜアメリカで急速に人口が増加したのか。18世紀当時に生きていたある者は次のように記している。

「アメリカ人は非常に早婚なので人口増加がヨーロッパよりも非常に急速である。その理由はおそらくイギリスではアメリカのように簡単に家族を養えないのでイギリス人は早く結婚できない。イギリスでは貧窮を恐れて家族を十分に養えると確信するまで誰も結婚しようとしない。しかし、ここ[アメリカ]ではそうした恐れがなく少し勤勉に働くだけで家族を養える。成年に達すればすぐに自活できる。非常に不思議なことに、この国では薹が立った女性を見ることはほとんどない。一般的に彼女達は22歳になる前に結婚する。しばしば16歳になる前に結婚することもある」

 この記録に少し補足しておくと、18世紀当時のヴァージニア植民地では、女性は14歳から15歳で結婚するのが一般的であり、中には11歳で結婚する女性もいた。ある農園主は、20歳を迎えたばかりの未婚の娘を「薹が立った娘」と呼んでいる。ニュー・イングランドでは25歳を過ぎると「年増女」と呼ばれた。なぜなら20代後半で祖母になる女性さえいたからである。
 こうして結婚した女性は非常に多産であった。ある南部の男性は次のように記録している。

「女性が家庭での繁殖競争の他に関心がないように私には思える。それはイブによって始められ、それ以来、女性の競争心を煽り立てている」

 当時の価値観では多産であることは女性にとって大きな誇りであった。いったいどのくらいの数の子供を産んでいたのだろうか。フィラデルフィアの例を見てみよう。上流階級の家庭の平均的な子供の数は7.5人である。中流階級は6.0人、そして、下流階級は5.0人である。「貧乏人の子沢山」という有名な言葉とはまったく逆である。
 さらにメアリ・ビュエルという女性を見てみよう。墓碑銘によれば、メアリ・ビュエル90歳で亡くなるまでに子供が13人、孫が107人、曾孫が274人、玄孫が22人できたという。このような例は特に珍しくなかったようだ。他にも第4代大統領ジェームズ・マディソンの母エレノアは、20歳で長男ジェームズを産み、43歳で最後の12人目を産んでいる。
 こうした女性がいた一方で初産で亡くなる女性も多かった。したがって、女性1人あたりの子供の数は平均で5人から7人程度になる。ただ子供の死亡率は非常に高かった。麻疹、ジフテリア、百日咳、おたふくかぜ、水疱瘡、赤痢などが子供の主な死因であった。成人に達するのは半分程度であったようだ。その結果、人口増加は30年で3倍程度になった。もし子供の死亡率が現代日本のように低ければもっと凄まじい人口増加になっていただろう。