コラム「アメリカ史の窓」

第13回 植民地時代のアメリカのお金事情

 現代人は紙幣や硬貨といったお金に慣れ親しんでいる。しかし、昔のアメリカ人は必ずしもそうではなかった。『アメリカ人の物語1』の中ですでに紹介したが、植民地時代のアメリカでは金貨や銀貨といった正貨が慢性的に不足していた。紙幣の発行も本国によって禁じられていた。では昔のアメリカ人はどのように買い物や決済をしていたのだろうか。
 まずこれも『アメリカ人の物語1』の中で紹介しているが、タバコ証書を使う。ただこれは主に南部で使われる決済手段だ。では他の地域ではどうだろう。例えば、ボストンのある帽子屋は、27シリング(1万6,000円相当)の現金か、30シリング(1万8,000円相当)の農産物で支払いを受け入れると告知している。つまり、現金支払いと物々交換が選べるというわけだ。またニューポートのある商人は、靴下とチョコレート菓子を客から代金代わりに受け取っている。靴下を編むのもチョコレート菓子を焼くのも客自身である。他にも床屋は1年間の調髪代と引き換えに家具職人から食器棚を受け取っている。
 ワシントンのような農園主であれば、つけで大量に贅沢品を買うこともできた。ロンドンの商館とタバコを納入する契約をすれば、それと引き換えにさまざまなものが買えた。お金は現金払いではなく納入されるタバコで相殺するという仕組みである。それは農園主が現金を入手できる機会が限られていたからだ。
  白人がインディアン相手に交易する場合、お金の代わりに貝殻玉がよく使われた。もともとインディアンの間で貝殻玉が流通していたからである。インディアンにとって貝殻玉は単なるお金の代わりだけではなく、死者の副葬品や友好の証などに使われた。
 貝殻玉は二枚貝の光沢のある部分を研磨して作られる工芸品である。その製作には長年の熟練の技が必要であり、大量生産が難しかった。だからこそ価値があり、白人はせっせと貝殻玉を作ってヨーロッパで高く売れる毛皮と交換した。当時の記録によると、珍しい紫色の貝殻玉は「1ポンド[約450グラム]の重さで同量の銀に相当する」と見なされていた。