コラム「アメリカ史の窓」

第16回 植民地時代のアメリカの郵便制度

 昔のアメリカ人はどのようにして手紙のやり取りをしていたのだろうか。ワシントンをはじめ建国の父祖達の手紙は独立以前のものも残っている。
 アメリカで最初の郵便局は、ボストンにあったフェアバンクス亭である。1639年11月6日、裁判所によって次のような決定が下されている。

「手紙の誤配を防止するために、ボストンにあるリチャード・フェアバンクスの家屋を海外とのすべての手紙の受け取りと送り出し場所に指定する。彼は指定に従って手紙を送り出す手配をしなければならない。彼は一通の手紙につき一ペンス[50円相当]の徴収を認められ、もし怠慢によって誤配が生じた場合、照会に応じなければならない」

 「郵便局」と呼んでいるものの、実際は居酒屋と兼業である。それに初期は専業の郵便配達夫がいたわけではない。港に船が到着すると船長が積まれていた手紙を降ろし、それと引き替えに置かれていた手紙を回収するという形式である。
 さらにニュー・ヨークとボストンの間で定期郵便ができた。ただ手紙は今のように各家庭のポストまで配達されたわけではない。手紙の配達先は居酒屋である。郵便物が居酒屋に届くとテーブルの上に手紙が並べられる。そこへ人々がやって来て宛名を見る。自分の家族への手紙はもちろんのこと隣人の手紙もついでに持ち帰る。一般的に料金は着払いであった。
 実はベンジャミン・フランクリンは郵便制度の発達に貢献していることでも知られている。もともと印刷業で財を成したフランクリンがなぜ郵便事業に手を出したのか。実は印刷業と郵便事業は切っても切れない関係にあったからだ。フランクリンは新聞を発行して収益を上げていた。その新聞を郵便配達夫についでに運んでもらえば経費が浮く。それだけではない。郵便配達夫は新聞代の徴収までおこなっていたという。
 ただフランクリンは私益のためだけに郵便を利用したわけではない。郵便事業の効率化を図り、郵便道路の整備や配達時間の短縮などさまざまな改善をおこなっている。後にフランクリンは大陸会議によって新たな郵便総長に任命され、イギリスの郵便制度に代わる新たなアメリカの郵便制度を始めた。フランクリンは「アメリカ郵便の父」と言ってもよいだろう。